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私は二十歳の頃、レコーディングエンジニアを目指していました。そのため、親に無理を言って、その手の専門学校に通わせてもらい、日々、勉強の毎日でした。
2年が過ぎる頃、卒業制作に取りかかることになりました。何人かでグループを組み、音に関わる作品を作り上げることになったのです。
その時、どういう経緯だったか忘れましたが、私が班長となり、ラジオドラマを作ることになりました。当時はゲームもRPGが流行っており、やるならファンタジーをやりたい。そうメンバーに打ち明け、シナリオの制作に取りかかりました。
しかし、私にはそんな才能はありません。文章は書けないのです。やむなく、学校とは関係のない、高校の友人になんとか叩き台だけでも作ってくれないか。そう頼み込み、シナリオの最初のバージョンが出来上がりました。
それを担当の先生に店に行くと、いきなりのダメ出し。何がダメなのか説明がないまま、直しを入れること数回。何回も何回も直してはダメ。終いには、このままだと制作がおぼつかなくなるから、もういい、これでやってみろ。と、さじを投げられました。
とりあえず仲間を集めてミーティング。音楽をどうするか、声優をどうするか、録音のスケジュール、編集、その他もろもろを決める毎日が続きました。
声優は、運良くメンバーの中に劇団の知り合いがいるというので、その人を呼んでもらい、スタジオに入ってもらって録音。
授業の合間、放課後には編集作業。そうしてようやく出来上がった卒業制作。
そしていよいよ成績発表の日。私達は卒業制作優秀賞を受け取ることとなったのです。
その時に初めて、「ああ、専門学校ってダメなんだ」ということを悟りました。「こんなものが作品になるか」そう言ってさじを投げた担当の先生とは裏腹に、私達は賞を受けたわけです。いったい、この結果はなんだったのでしょう。ある意味においては、これが芸術の面白さなのかもしれませんが、学校の内部において、このバラバラな姿勢ってなんなのでしょう。
授与の時に、さじを投げた先生をチラッと見ると「よくやった」みたいな顔をしていました。私はとてもじゃないけど、「先生のおかげです」なんて言えませんでした。そして、その賞は私にとっては全然嬉しくないものとなりました。
そしてその長い卒業制作のために、就職活動が全然できなかった私は、危うく、就職浪人をするところだったのです。
この出来事は、今思い起こすといい勉強になったような気がします。結局は、自分が信じた道を進むこと。そしてそれをやり遂げること。これを全てに当てはめて行動していくことは難しいのですが、この経験が、私の今を作っているように思います。いい出来事でした。
ピークも越えて、今日はまったりモード。いい一日でした。それにしてもIllustratorは奥が深い。深すぎる。
今朝はペースとしては遅目。抜かれること多数。途中でポタリングモードに突入。これで風がなければ、仕事さぼってサイクリングに切り替えてもOKだったかも!?
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